STORY
02
~3.11東日本大震災 出動~
DMAT 山下恵二
プロローグ
災害拠点病院に勤務する看護師として、DMATに興味があった
その2年後、忘れられない「あの日」が
~3.11東日本大震災 発生!~
当直明けで家に帰っていた。テレビをつけると津波の映像。はじめは何が起こっているのか理解できず、ドラマ?映画の特撮???
現実だ
行かなくては
訓練ではない。
いつでも出動できるように資器材を点検、準備をして
DMAT派遣依頼を待った。
私たちのDMATチーム6名は、神戸空港に参集
自衛隊の飛行機に搭乗
機内は横向きに座り足で酸素ボンベをおさえながら花巻空港当着
広域搬送拠点までの道のりは、
テレビでみるより悲惨な状況であった、なんとも言えない匂いと、全く生気のない瓦礫が広がる光景が続いていた。
それは、まさしく訓練ではない
現実の災害現場であった。
余震と寒さで不安と恐怖が倍増する中、突然の出来事で命と闘っている多くの人を目の前にした、私の不安や恐怖は吹っ飛び、「いち早く安全な場所に運び、被災者の命を守る」という強い使命を感じ、懸命に活動した。
空港に降り立ってからは、医療提供できない被災地から集まってくる患者さんを医療提供できる地域へ搬送するため、パッケージングと呼ぶ作業を行った。
点滴をつけたり、胃へのチューブ挿入、骨折疑いのある腕の固定などの処置
そして、どの患者さんがどの地域へ搬送されたのか記録するための名簿を作成
余震は強くかなり揺れた。笛を吹いたりしてお互い教えあう
処置の一時中断と、なにより不安になっている患者さんのサポート
夜は石巻赤十字病院のロビーや廊下を借りて宿泊
その時も余震が続き、すごく揺れてゆっくり休むことが出来なかった
第2隊へ交代 姫路へ
私たちは、4日間滞在して次の第2隊へ交代。
長い4日間であった。
DMATに入っていなければ経験することはなかった。
この4日間多くの被災者と向き合い、全国からのDMAT、医療関係者、自衛隊の皆さんと協力した。
日頃の訓練と、整備品の準備の大切さを痛感し、姫路に戻った。
DMATに興味を持った方がいたら、私から直接もっと経験や訓練など伝えたいと思う。
DMATとして、いつ起こるかわからない有事のため、DMATの資器材の管理、訓練、調整など、日頃より常に研鑽していく必要があると強く感じる。そして、DMATでの貴重な経験を後輩に語ることで次世代の人材育成にも力を入れていきたい。
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