STORY
05
再び看護師の道へ
プロローグ
看護師免許取得してから養護教諭目指して大学編入するが、
看護師の道へ
3次救命救急センターを有する総合病院に入職した。
配属はHCUで卒後3年間楽しく働くことができた。
看護師4年目で初療室に異動
某兵庫県の総合病院 救命・救急センターは開設直後の部署
経験豊富な他のスタッフとは違い、日々をこなすことで精一杯。
自宅に帰ると疲れて倒れ込むように寝るだけ。
自分の力不足が周りに迷惑をかけていることを痛感する毎日。
やらなくてはならないこと、できないこと、勉強をしなくてはならない。
こんなはずではなかった。
気力体力が限界にきていた。。。。
涙しかでない。
自分らしさがなくなった。
人間関係にも疲れた。
だれもいないところへ行きたかった。
一緒に働いていた先輩が応援ナースとして沖縄県に行くことを聞いた。
そうだ、私も沖縄に
決意した私は、1つ目の施設を退職した。
沖縄の施設は、方言も強い、人は、どこまでも明るく温かい。
沖縄の病院は、ヘリの駐機地病院だった。
配属されたのは、内科病棟ナースとして働いた。内科病棟で働いていた時「本当にやりたいことはなにか」と自問自答するようになった。
ときは半年の予定が1年となっていた。
実家の看護師の母からそろそろ戻ってきなさいと。
自分は救急から逃げた、救急へもう一度チャレンジしたい。
元々興味があった「プレホスピタル、救命救急センター」で働いてみたいと思いが強くなり、製鉄記念広畑病院には知り合いの医師がいたためここで働いてみようと思い就職を決めた。
ICUへ配属となり、人に恵まれ、やりたいことをさせてくれる環境の中で成長出来た。
製鉄記念広畑病院に就職し8年が経過した。就職時は、初療室所属と聞いていいたが、ICU配属となった。救急やプレホスピタルを経験したい思いが強く、やりたいことを経験できなければと他施設への就職も考えた。しかし、昨年度、ICU所属のままで、フライトナースになるためのプログラムを3か月間実施しフライトナースの認定を受けた。プログラムを実践している間は、学習が大変だったが、初療室スタッフや医師に助けられ頑張ることができた。OJTを終えて初フライトでは、1日で2件要請があった。OJTでは経験していない症例であり、不安と緊張でいっぱいだったが、フライトドクターとヘリ機内でブリーフィングを行い、少し落ち着いて対応にあたることができた。しかし、まだまだ未熟であり経験が浅いため様々な課題が浮き彫りとなった。自己研鑽と経験からの学びを深め、一日でも早く「安心して任せられるフライトナース」となれるよう成長していきたい。
統合して配属された部署は、ICUではなく初療・アンギオでした。初療の経験も少ない上、苦手な循環器。ましてや、2病院が統合することで、また人間関係で悩むのかなという不安と、看護師長補佐として立ち上げにどこまで貢献できるのかというプレッシャーでいっぱいでした。
師長さんとは、以前一緒に働いていたこともあり、いいチームを作ろうと目標を立てています。いざ開院すると、外傷、循環器疾患・アンギオが得意の2病院スタッフが、互いの長所を生かし、次々と出てくる問題点と課題を一つずつ解決しようと切磋琢磨しています。救急患者が多くアンギオの件数も多い。正直疲労困態です。でも、何でも言い合える、助け合えるスタッフのおかげでしんどい中にも楽しさがあり、いいチームだなと心から思えます。
まだまだ重症患者を受け入れる上での知識や技術、経験は未熟です。でも日々勉強会やシミュレーションを通して個人はもちろんチームとしてスキルアップしていきたいです。
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